路上のおもしろさ

先月、ふと思い立って、実家の家の前でフリーコーヒーを淹れてみました。

 

テーブルを出し、コードをひき、コーヒーを淹れる道具をセットすれば、びっくりするくらい簡単に準備は完了。看板も即席でつくり、コーヒーマシンの隣には実家に眠っていた私物の本を並べました。

 

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ガサゴソひとりで準備しているときから、ふっと立ち止まりじっと眺めては去っていくがいたり、声をかけてくるひとがいたり、通り過ぎていくひとがいて、その出来事ひとつひとつがとてもおもしろい。

家のガレージに椅子をならべて、コーヒーを淹れはじめると、香りにつられてひとりふたりと集まってきて、とあるおじいちゃんが座ったと思えば、通りがかりの彼の知り合いが立ち寄り、その知り合いが知り合いを呼び、一時ガレージがおじいちゃんおばあちゃんで溢れかえったりもしました。

 

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実家に暮らしていたとき、家の前の通りはパッとしない「いつもの通学路/通勤路」で、私はあくまでもその路の利用者だったけれど、コーヒーを淹れているとき、いま私はこの路上のつくり手なんだという気持ちになって、そこから見える景色は非常に鮮やかだった。きっとすべての路上には余白があり、別に特別な名目なんかなくたって、誰でもそこにひととひととの接合点を生み出すことはできるのでしょう。

 

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なんだか路上がどんどんおもしろくなってきました。

今週の日曜はmeguriの事務所@日暮里の長屋でコーヒーを淹れる予定です。

 

▼路上について、読んだ本

・影山裕樹『あたらしい「路上」のつくり方』(DU BOOKS, 2018年)

・田中元子『マイパブリックとグランドレベル』(晶文社, 2017年)